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日本遺産「甲州の匠の源流・御嶽昇仙峡~水晶の鼓動が導いた信仰と技、そして先進技術へ~」構成文化財

甲州の匠の源流・御嶽昇仙峡

金峰山を源とする「荒川」は、隆起した花崗岩山地を悠久の時をかけ浸食し、芸術的ともいえる渓谷美と貴重な水晶をこの地にもたらしました。この「昇仙峡」の険しくも美しい渓谷美は、信仰の場として、また、優れた文芸のモチーフとして古くから人々の心をとらえ、さらに、水晶は山梨県の宝飾産業の基盤を形成し、現代の女性を魅了するジュエリーや、スマートフォンなどの最先端技術に繋がっていきます。
「御嶽昇仙峡」と聞いてどんなイメージをお持ちでしょうか?
おそらく覚円峰に代表される渓谷美をイメージされる方も多いのではないでしょうか。
そうです、御嶽昇仙峡エリアは日本一と称される渓谷美と四季折々の景色を楽しめる自然豊かな地域で、マイナスイオンをたっぷり感じられる県内随一の観光スポットとして有名です。
一方で、約1,000万年前に起きたとみられる地殻変動が生み出した花崗岩に水晶が含まれていたことから、日本を代表する水晶の一大産地として名を馳せ、そうした歴史的背景が現代の研磨技術の発展につながり、甲府市が「宝石のまち 甲府」と呼ばれる所以とされています。
御嶽昇仙峡の紡がれた歴史をたどり、日本遺産認定となったストーリーを知るためには、日本遺産昇仙峡ガイドに案内していただくのがおすすめです。少しでも興味をもった方は、お気軽にお問合せください!
そして山好き・歴史好きな皆様へ・・・日本百名山でもある金峰山への参拝道とされた御嶽古道もご案内可能です。

 
お問い合わせ先:昇仙峡観光協会 055-287-2158
 
昇仙峡ガイド風景1
昇仙峡ガイド風景2
昇仙峡ガイド風景3
地域に受け継がれている有形・無形の23件の文化財
日本遺産のストーリーを語る上で不可欠な魅力ある23件の構成文化財について紹介していきます。
御嶽昇仙峡(甲府市・甲斐市)
巨岩や奇岩、奇石群を擁し、希少な造形美を形成する日本有数の渓谷美の昇仙峡。
燕岩岩脈(甲府市)
この岩脈は黒富士火山を構成する火山岩類の一つで、昇仙峡の形成に大きく関わっています。
何万年も続いた火山活動の歴史を語りかけてくれる貴重な自然遺産です。
金峰山五丈岩(甲府市)
五丈岩は標高2,599m の金峰山山頂にある巨大な花崗岩で、金櫻神社の本宮となっています。
山頂からは、水の信仰に関わる土馬や水晶玉などが発見され、出土品は山梨県立博物館に展示されていて、美しい眺望は、修験者のみならず多くの登山者や写真・文学愛好者をも魅了しています。
能面(甲府市)
甲斐国の武将武田勝頼が金櫻神社に奉納したと伝えられる本社の宝物のひとつ。
金峰山の里宮として建立された金櫻神社が中世以降武田氏をはじめ領主・武将などの厚い加護を受けていたことを今に伝える貴重な資料です。
※現物は一般公開されておりません。
住吉蒔絵手箱・家紋散蒔絵手箱(甲府市)
住吉蒔絵手箱は、金櫻神社宝物帳に「武田信玄公母堂奉納」とされている本社の宝物のひとつ。
また、家紋散蒔絵手箱も武田家ゆかりのものと考えられています。
※現物は一般公開されておりません。
筏散蒔絵鼓胴・武具散蒔絵鼓胴(甲府市)
金櫻神社の宝物として能面と一連のものです。
桃山蒔絵の技術と意匠をいかんなく発揮した優品でとても貴重な品となっています。
※現物は一般公開されておりません。
金櫻神社大々神楽付面と衣装(甲府市)
修験の地である金櫻神社に室町時代から奉納されている民俗芸能。
二十六座のうちには修験の所作が随所に認められ、金峰山麓に育った特異性を持ちます。
その舞は、今もなお五月の例大祭において、山々の桜、新緑の木々とともに人々を魅了しています。
旧金櫻神社石鳥居(甲斐市)
昭和59 年(1984)の発掘調査によって発見された金櫻神社の一の鳥居で、鎌倉時代のものです。
現在は、駐車場を確保できる甲斐市の総合公園内に、金峰山方向に遥拝できるかたちで移設建立されています。
御嶽古道(亀沢、吉沢、塚原の3筋)の石造物群(甲斐市)
金峰山への参拝の道は、江戸時代に「御嶽九筋」と呼ばれる複数の御嶽道(古 道)が整備され、亀沢、吉沢、塚原の3筋は御岳信仰における主要なルートでした。
それぞれの道筋には、金峰山五丈岩や金櫻神社へと、古の人々の祈りを繋げた石造物群を今も観ることができます。
御嶽古道(甲斐市)
当時の甲斐国と信濃国を結ぶ幹線道路である穂坂路に接道していたのが亀沢、吉沢、塚原の3筋であり、御嶽信仰における主要なルートでした。
江戸時代の浮世絵師歌川広重も御嶽古道を歩いて金櫻神社へ参詣し、その折に古道の奇石や景色を描いています。
広重が絵にした風景を、この場所で今も観ることができる貴重な場所です。
旧羅漢寺の遺構(甲斐市)
羅漢寺は大永年間(1521-1527)に創建されたとされ、開基当時は、羅漢寺山の中腹にありましたが、慶安 4 年(1651)に火災で消失しました。
その後、新道開削により木造羅漢像とともに現在の場所に再建されました。
旧羅漢寺跡には、当時の石組みなど、かつての遺構をみることができます。
木造五百羅漢像(甲斐市)
修験道場として開基された、その名も羅漢寺に伝わる羅漢像。
寺は、昇仙峡を象徴する覚円峰を抱く山に建立され、山の名も羅漢寺山といいます。
木造阿弥陀如来坐像(甲斐市)
修験道場として開基された羅漢寺に伝わる阿弥陀如来です。
御嶽道祖神(甲府市)
山岳信仰、御嶽道に残る道祖神。
多くの道祖神のほか、道標・巡拝塔が立ち並び、訪ねると江戸時代の巡礼気分を感じとることができます。
金櫻神社摂社・白山社(甲府市)
金峰山の里宮として建立された金櫻神社の現存する数少ない摂社のひとつ。
今も県内各地の白山崇敬者の拝礼を受けています。
長田円右衛門顕彰碑(甲府市)
昇仙峡という呼称以前、御嶽が広く世に知られるきっかけとなった新道を開拓した長田円右衛門。
村人を助け、文人画家を招き、遊覧客を接待しました。
甲府勤番士にも支えられ、甲府代官所とも連携し、その功績は顕彰碑に刻まれ、昇仙峡の中心の地で今の世も多くの人々にたたえられています。
金櫻神社の御神宝(甲府市)
金櫻神社の御神宝。
この水晶玉の加工技術は京都で水晶玉加工販売をしていた玉屋の番頭弥助が水晶買い付けの際、金櫻神社の神官達に伝授したといわれています。
※現物は一般公開されておりません。
塩澤寺地蔵堂(甲府市)
天暦9年(955)、空也上人開創と伝えられています。
古湯・湯村温泉郷にあり、湯治・療養・観光・登山等、信仰厚い厄除け地蔵尊をお守りします。
毎年 2 月 13 日正午から 14 日正午に開かれる「厄除け地蔵尊祭り」には県内外から大勢の人々で賑わいます。
古くから地域の信仰、湯村観光の要所であります。
湯谷神社(甲府市)
大同3年(808)、弘法大師によって開湯されたのが湯村前身である志麻の湯。
志麻の世より信仰され、秋葉権現、大宮さん、湯村温泉郷の守り神である湯谷大権現を合せて祭神とします。
なかでも湯谷権現は慶長6年(1601)の検地帳(広瀬家古文書)にも書かれており、中世を今に伝える歴史遺産です。
平瀬浄水場 登録文化財6件(甲府市)
江戸の時代から甲府城下には御嶽の水が届けらました。
花崗閃緑岩が名水を作り、今もなお「甲府のおいしい水」として県内外で知られています。
本文化財は、昇仙峡の名水を浄水し市民に送り届けていた施設の遺構であり水道近代化のシンボルとして残されていて、
なかでも平瀬水源旧事務所は、資料館として公開され、水道の歴史を知ることができます。

黒平の能三番(甲府市)
かつて水晶を採掘していた黒平地域に伝わる民俗芸能。上黒平、下黒平の二地域で伝承されています。
伝承者は鎌倉時代に都から落ちのび住み着いた藤原房秀と伝えられています。
炭焼窯跡(甲府市)
その昔、黒平の集落の人々は炭を焼き、険しい御嶽古道を通り甲府に売りに来ていました。
黒平のキャンプ場から、黒富士への山岳ルートを辿ると、今でもその跡を観ることができます。
白輿(甲斐市)
「承久の乱」により順徳天皇が佐渡に流されていた時期に、越後寺泊から金櫻神社へ勅使を使わした折に奉納品を載せた輿です。
※見学の際は事前連絡が必要です。
055-277-3727(常説寺)
ダイナミックな渓谷美、そして日本遺産認定された構成文化財をみながら昇仙峡を散策してみませんか。
昇仙峡を熟知した「昇仙峡マイスター」のガイド案内もと、散策するのもオススメです!

おすすめ散策ルート、モデルコースはこちら
昇仙峡をトレッキング(約2時間散策コース)

昇仙峡をウォーキング(約40分散策コース)

 

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